春 待 人




僕はただ・・・君と一緒に桜が見たかったんだ。

ただ・・見たかったんだよ・・・














さわさわ・・と柔らかな風が白い木綿のカーテンを揺らす。

時折、それはこの部屋の住人の額の髪も悪戯に揺らした。

白で統一された部屋の一角で、関口は清潔なシーツの上で身体を

起こしてぼんやりと窓の外を眺めていた。

冬の気紛れの小春日和な日差しは暖かく窓の外の風景を照らしていた。



あんまり病院というものは得意ではなかった。

やけに消毒された臭いに、無機質な印象を与える白。

そればかりが溢れかえっている印象を僕は持っていたのだ。

だけど、百聞は一見にしかず。と言うべきか・・実際に来てしまえば僕の恐れていた事は

一体なんだったのだろうか?と自分の気鬱に苦笑を漏らしてしまう。

「・・起きてるよ。今日は気分がいいんだ・・。君らしくないだろ、

何時までそんな所に立っているつもりだい。」

ドアの方も見ずに僕はそう声を掛けた。

すると、見慣れた仏頂面が姿を現わした。

「君ね、起きていて大丈夫なのかい?」

どうやら彼なりに心配をしてくれているらしい。よくよく見れば、見慣れた眉間の皺も

仏頂面と言うよりも、どこかしら困った感じを漂わせているみたいだった。

その様子が可笑しくって僕は耐え切れずに噴き出した。

「いや、すまない。大丈夫だよ・・。そこら辺に椅子があるだろ、座ったらどうだい?」

いつもとは何やら逆の立場のように僕は席を中善寺に勧めた。

本当に自分で言って可笑しな位、気分は穏やかで安定していた。

あぁ・・なんて穏やかな日々なのだろうと。

「大丈夫だよ。僕はただ・・眩暈を起こして倒れただけだよ。それが運悪く・・倒れたとこが良くなくって

こうして怪我をしてここに寝てるという訳だ。いつもの貧血だよ。」

そう、関口は研究室で自分の研究をしている最中に眩暈を起こし倒れたのだ。

それが運悪く、倒れた際に腕の着き方が悪く軽い骨折という羽目になってしまったのだ。

「検査もそこそこに済んだし、もうすぐ退院できるみたいなんだ。

ある意味、良い骨休めって感じになったし・・」

「全く君って奴は。・・・変なトコでどうしてそんなに図太くいられるんだか

僕には理解に苦しむよ。」

いつも、簡単に折れてしまいそうな精神状態だというのに

今回に限っては取り乱すこともなく落ち着いている。その逆に中善寺の方が

内心慌てたのは言うまでもなかった。

連絡の一報を受けた時、取り合えず取るものを取るとすぐに病室へと駆けつけたのは

言うまでもなく、関口には内緒である。

「すまない。君には心配を掛けたね。」

「そう思うのなら、もう二度とやらないでくれたまえ。」

そう言って、フイッと窓の外に視線を逸らした横顔は照れているような拗ねたような表情だった。

どこから見たって幸せそうな二人の会話。

だけど・・一方はその物語の結末の綴られ方を知っていた・・。


決して変わる事のない筋書き。




___ 僕等に残された【時】はあと・・少し・・。











関口が入院してから既に一ヶ月余りが過ぎ去ろうとしていた。

腕の回復も芳しく、担当医師からも退院しても良いとの許可が告げられたのだった。

関口の退院する日は、小春日和の日差しの暖かな日だった。

生憎、中善寺は仕事の関係で迎えに来ることは出来なかったが、

仕事が切り上がり次第に逢いに来ると告げていた。

「いいかい。君はまだ本調子ではないのだから、余計な道草はせずに

家に真っ直ぐに帰るんだ、いいね。」

退院前日に何度も念を押された言葉を思い出して関口は苦笑を漏らした。

自分だって、立派な成人男子だと。いつもの態度は何処へやら?

らしくない過剰の自信が今の関口には満ち溢れていた。

「少し位なら大丈夫だよね・・。」

のらりくらり・・と関口は自分の進路を自宅への経路からゆっくりと外れていった。






どの位歩いただろうか?久しぶりの運動の所為か、僅かに汗ばむ。

だが、いつもの気怠るさはなく吹く風に心地よさすら感じられていた。

「やっと着いた。久しぶり・・だね。」

ゆっくりと関口は空を仰ぎ見る。

その先にはまだ硬い蕾をつけた立派な枝振りの桜の大木が一本立っていた。

「あぁ・・やっぱり、まだ早かったみたいだ。」

ぽつり・・と呟くと残念そうな笑みを浮かべた。

ここは関口、ふらり・・と一人で訪れるのが毎年恒例になってしまっている場所だ。

ぼんやりと見上げると、その木の下での朧気な思い出が

思い出されて関口は僅かに微笑んだ。

「今度は・・中善寺も一緒に来れるといいな。」

そう口に出してみて、自らの言葉に関口は一人、顔を赤くしたのだった。

「また来るよ・・」






「はぁ〜・・・、君の歩調の速度は一体どれだけ遅いと言うつもりだい?」

「え・・えぇ・・。あ、・・ち、中善寺?!一体どうしたんだい?」

「全く、どうやったら病院から自宅へのこの短い距離をここまでも時間を

掛けて帰って来られるのかを教えて貰いたい位だよ。」

家に着くと、帰りを待ち構えていた仏頂面の手厚い出迎えを受けたのだった。

一体、何故彼がここに?彼の仕事を考えれば・・帰宅までにはまだ時間があったはずだった。

それに何も・・こんな寒い中、彼が人を待って(それも関口をだ)いるなんて考えられなかった。

が、という当初の疑問は消え失せて・・

ただただ・・ひたすら謝るしか今の関口の頭にはなかった。

『いや、すまなかった。』とか『そのあの・・まさか君が待っていてくれるなんて思わなかったから・・』

など最後には口篭もり、いつもの如く失語症にまで陥ってみせると

ようやく彼の機嫌は戻ったようだった。



「で、君は一体何をしていたんだい?」

荷物を解いて、居間でやっと寛いでいるとこに

再び中善寺は話しを蒸し返してきたのだった。

「あ〜・・・。」

少しだけ困ったように眉根を寄せると、おずおずと視線を上げてきた。

「べ、別に大した事じゃないんだけど・・その・・あの・・

さ、桜を見てきたんだ。」

「桜・・?」

怪訝そうな表情を浮かべると、より一層眉間の皺の度を中善寺は強くした。

彼がそんな表情を浮かべるのも無理はない。

まだまだ季節は桜の季節には遠いのだ。

「君の現抜けには、今まで余り驚かされなかったが・・・とうとう幻でも見たのかい?

それとも、季節すら分からなくなったのか?」

「ヒドイなぁ。そこまで言わなくったて良いじゃないか!違うんだって・・。」

そこまで言うと、関口は一旦口篭もる。そして思いなおしたかのように喋りだした。

「この町の外れに小高い丘があるだろ。あそこの林の中に見事な桜の大木が

一本あるのは知っていたかい?」

そう言われ、中善寺はいつものお得意の格好である左手を顎の辺りに

持っていくと自分の記憶の棚を探り出す。

「アレがね。僕が唯一幼い頃に両親と共に見に行ったものなんだよ。

君も知っての通り。僕にとって余り幼い頃の良い想い出なんて少ないからね。

だから・・余計に大事な場所なんだ。」

不意に真っ直ぐと見詰め返された視線に中善寺は瞳を見開いた。

「そこに行ってね、決めてきたんだ。今度は中善寺も一緒にここを訪れようって。」

にこっと頬を赤らめながらも笑んだ関口に中善寺は内心の動揺を隠せただろうか?

「君ってやつは・・。僕が行くっていうかは限らないだろう。」

「う〜ん、そうだよね。だけど、きっと君は来てくれるよ。」

「何を根拠に・・全く。」

視線をそらした中善寺の視界に関口自身が珍しく入ってくると、小指を差し出す。

「約束・・、一緒に行こう。」

じっと、その小指を見詰めるがやがて溜息を一つついて中善寺と関口は

小指をきって約束を交わした。

きっと・・違われる事がないと信じて疑わないと・・・。













1話終了。

BGM by遠来未来
【浮遊華】