窓の傍で待機していろと言われ、窓の傍にいた。
部屋の会話は、忍として一般人よりは秀でた聴覚を持っていても、其処まで正確に聞き取れるものではなく。
どうしようかと思っていた時、中で気配が動いた。
(出てくるっ…!)
気付いたサスケが二人へと合図し、出来る限り姿を隠し、その場へと固まる。
と。少し離れた場所にある玄関から、アスマとそれに続き自分たちの師二人がでてきた。
その姿を見て、体が強張る。
まだ先ほどの現場のショックが消えていないためか、今でもまざまざと情景が思い浮かぶ。
全く薄れないその記憶に眉を潜めながらも、サスケは子供二人より僅かに前に出て、無意識に庇うように手を二人の前へと出していた。
玄関先での会話が聞こえる。
気配も任務中でないためか、消されていないため感じ取ることができ、姿が見えない場所に隠れていても、大体の相手の動きも把握できた。
「じゃね。…報告よろしく」
「あぁ。…ったく、何で俺にばっかし面倒掛けるかね」
「俺らの仲だろ。気にするな」
「気にする。それに一体どんな仲だよ」
「…腐れ縁? 暗部に引っ張り込まれた仲?」
「ま、そんなところだろうな」
くすくすという笑い声が聞こえる。
アスマははいはいと手で追い払う動作をした。
「やだね。お前らに付き合うと、碌なことがない」
「お互い様でしょ〜? ほら、さっさと帰れ」
「報告まで行ってやる相手に対して、なんて態度だよ…」
歩きながら、アスマは愚痴る。
玄関先数歩出たところで、イルカとカカシの足が止まった。
「アスマ」
「あ?」
呼び止められ振り向く。
イルカが、無表情に此方を見ていた。
「子供らのことは、報告するのか」
「…いや? 別に一々報告するようなことじゃねぇだろ」
報告して、立場が危くなることはない。
しかし、面倒ごとに巻き込まれることは確実だ。
何を今更、という言葉。しかし
「報告しておけ。…任務を見られたと」
告げられた言葉は、思いもよらないもので。
思わず、驚きに眉をつり上げる。
「っおい」
無感情な瞳を見、何を考えていると詰め寄った。
それでなくても、上層部から毛嫌いされている二人。
折角上層部が厄介払いできたと喜んでいるのに、これ以上問題を浮き彫りにすると、どうなるかわからないぞ、と。
しかし、それを気にする様子は、二人からは全く見受けられなかった。
「任務を見られたんだ。これ以上俺があいつらの傍へ寄ることは不可能だろう」
偽物の笑みを浮かべて、馬鹿みたいに子供好きに見せて。
しかし、それももう終わり。
「俺もね。上忍師をするのに、ちょっと無理が出そうだし?」
イルカに凭れ掛かり、カカシがくすっと笑う。
「幾らなんでも、任務の最中怯えられたら、お話にならないでしょ?」
言葉の裏は、見なくてもわかった。
「…つまり、上忍師を降りると?」
アスマが尋ねる。
この二人があの時何に怯えたのかは気付いた。
そして、このままではどうなるかも。
だからこそ、上忍師を降りる可能性も考えていた。しかし
次に言われた言葉は、思いもよらないものだった。
「そ。…それと、あいつらの記憶、消しといて」
「っ」
今度こそ、絶句した。
「なに…」
この男には珍しく、目を見開く。
しかし、それを気に止めるでもなく、二人は言葉を続ける。
「平和な生活にももう飽きたし? これ以上里にいる理由もなくなったみたいだから。抜け忍にでもなろうかなぁと思ってね〜」
「さっき、次何処に行くか話し合っていたところなんだ」
くすくすと笑う二人。その姿だけ見れば、仲のいい兄弟がただじゃれ合っているようにも見える。しかし
その場から感じられるこの二人の気配は、決して優しいものではなく。不穏で歪んだ、残酷な色をしたものだった。
「…お前らが抜けたら、この里にとっては問題だぞ」
「そうだね? 戦力低下で大変なことになるかも」
きっと、他の里からの攻撃が、倍には増えるだろう。
―そのくらい、この二人の名は知られている。
「でも、それは俺らが知ったこっちゃぁ無いでしょ。俺らがいなければ弱い里が悪いんだよ」
「止まっていた里だから、その里にくる任務を受けていただけだ。…俺たちが消えた後、どうなろうが関係ない」
別に、木の葉が弱いわけではない。
しかし、少なくとも敵国の隠れ里からの攻撃を半減させる程度には、「写輪眼のカカシ」と「相棒のイルカ」の名前は、知れ渡っていたのだ。
アスマが帰った後、イルカとカカシは同時に溜息を付いた。
「帰った」
「やっと帰ったね」
どうしてこう、あいつはいらない報告に来るんだと愚痴る。
普段なら、アスマがこんな風に任務後、二人の下へ来ること自体がおかしいと気付いただろう。
しかし、今の二人には、そんな考えは全く浮かばなくて。
ただ、文句だけを吐いた。
「あいつ面倒見良過ぎ。本当にお人好しなんだから」
「面倒なら、来なけりゃいいのに」
結局。アスマは、暗部専用の受付への今回の任務報告と共に、上層部への目撃者の報告。そして、子供たちの記憶操作の提案をしに行った。
嫌なら突っ撥ねればいいのに、と二人は呟く。
しかし、アスマからすれば、拒否すればどうなるかわからないという思いがあるため、拒否できなかったのだ。
自分たちの他人に与える影響を、全く考えていない二人が、そのことを思い当たることはなかった。
ふと部屋に入ろうと、玄関へ戻ろうとしたイルカが、空を見上げる。
そこには、半分以上欠けながらも輝く、月が、浮かんでいた。
「綺麗な月だな」
「あ、本当だ」
イルカの言葉に、カカシも上を見上げる。
「庭寄ろうか?」
「そうだな。…月見にするか」
普段なら、任務後は二人でベッドの上に直行だけれど。
外に出たことだし。折角だから、もう少し見ておくか、とイルカが頷いた。
目の前を通る二人に、子供たちの体が一層硬直する。
手入れされた背丈の短い木を挟み、通った場所は向かい合っていた。
もし少しでも声を出せば。それどころか、身動きをしただけで気付かれる距離。
緊張で動きそうになるサクラをナルトが抑え、更にその二人をサスケが抑えていた。
手前にいるサスケが、一番身を強張らせていた。
木以外何も遮るものがない場所。後ろの二人と違い、隠れられる人影も無い。
こちらに気付くことなく自分たちの前を通り過ぎた二人に、思わず、音にせず息を吐く。
もう少しでもこの緊張が長引けば、自分が動いていたかもしれない。
10班の上忍師が渡した暗部使用の気配消しの効果に、思わず感謝する。
あの時の敵を惨殺した殺気が、自分に向けられる恐怖。
それが何ともなく頭の中に浮かび上がり、恐怖に背筋がひやりとする。
怖れることをよしとしない自分が、これほどまでに怯えているのに。それを止めることはできなかった。
怖い。あの二人が。
優しかった元担任と、上忍師が。
なぜここに隠れていろと、あの10班の担当上忍は言ったのか。
その理由はわからない上に、本人はもうこの場にはいない。
自分たちにどうしろというのだと、思っていた時。
ふと、二人の会話が聞こえてきた。
庭に出た二人は、縁側へと腰掛ける。
空を見上げ、ぼうっと視線をめぐらすカカシに、イルカが苦笑する。
そして、カカシの頭を抱きかかえた。
凭れるように目を瞑るカカシの、銀に輝く髪を撫でる。
その姿から。その時の二人からは。
今までアスマの前で完璧に被っていた虚勢が、完全に抜けていた。
「どこがいいかなぁ…」
ぽつり、と呟かれた言葉は、普段と何ら変わりない、ぼんやりとした口調だった。
「ねぇ、イルカは何処がいい?」
「そうだな…音の里とか、どうだ」
「いいね。…久々に、大蛇丸にでも会いに行く?」
里で危険人物に指定されている、三忍の一人。
その人物を思い浮かべ、カカシは薄く笑う。
「元気かな〜」
「元気だろ。…ミズキがそう言っていた」
「あぁ。あの音の間者ね」
以前、ナルトに全てをばらしたアカデミー教師を思い出す。
お互いに同じ職場で、立場は違えど力を隠し過ごしていたとは、笑える話だ。
それの確認のためだけに、ナルトを利用した相手のその狡賢さに、今更ながらに思い出し嘲笑が浮かぶ。
カカシには全ての事情を話していたし、ミズキが既にこの里にはいないことも知っている。
イルカが傷付いたことには激昂したが、ミズキという男に対しては、面白いと認めていた。
「元気かぁ。なら、大丈夫かな?」
急に訪ねてって、里に暫く置いて〜なんて言っても。
「…まぁ、俺らなら、大丈夫だろ?」
何故か自分たちは、あの男に気に入られているから。
行く場所が決まったところで、会話が止まる。
これでは本質的な問題の解決にならないと知っていても、お互い口を開くのに躊躇があった。
何故ならそれは、今までにはありえない問題で。
そして、この先もありえることは無い、想像すらしていなかった問題だったから。
それを告げたところで、相手に嫌われるとか。そんな馬鹿げた言葉は、頭の隅にもなかった。
しかし、もしかすると戸惑うかもしれないことを想像し、だからこそ躊躇してしまっていた。
そして、暫くの沈黙。
月の光のみが照らすその闇の中、その場を痛いほどの静寂が占める。
お互いに一言も話さない。
このままでは埒が明かないと思い、先に口を開いたのは…カカシだった。
「もしかして…もう暫く里にいたかったなぁとか、考えてる?」
ぴたりと、カカシの髪を撫でていた手の動きが止まる。
ふと空気が動き、イルカがカカシにまわしていた腕を解いた。
真正面から、その表情を見つめる。
「…お前がか?」
「お前もね」
返事になっていない言葉。しかし、それにより、自分の問題がお互いに持っていたものだと理解する。
こんな思いをしているのは、自分だけではないのだと。
再び訪れる、暫くの沈黙。
次にその静寂を破ったのは、イルカだった。
「どこから間違った…」
それは、全く何も込められていないようで、しかしとても苦渋に満ちているようにも聞こえる言葉だった。
カカシの肩へと、頭を垂れる。
それを抱き留め、カカシはその黒い髪に、顔を埋めた。
「中忍にされて。任務が殆ど受けられない状態で。お前といる時間が減って。…ガキらは煩いし、こんな奴らが何れ戦場に立つと思っただけで、気持ち悪かった」
それが全てだったはずなのに。
そう呟き、イルカが額に手を当てる。
俯いた顔に髪が掛かり、その表情を隠す。
手の下で伏せられた瞳は、無感情にカカシの方を見つめていた。
イルカを抱き留めたまま、カカシが頷く。
「俺も一緒だ。暗部から蹴落とされて…お前と違う場所で働けと言われて。その上ガキのお守りだ。受け持ったら直に殺してやろうと思っていた」
たとえそれが、里の上層部の意志に反することでも。
たとえ、イルカ必死で自分を抑え、教育してきたガキどもでも。
自分にとって、イルカと離れていろなどということは、死ねと言われているに等しい。
一秒でも離れたくない。お互いにお互いの全てを知っておきたくて、感情すら隠したくは無い。
目に触れるもの、記憶に残るもの。それら全てを共用したい。
行き着くところまで行き、その先をも掘り進む、自分たちの独占欲。
それが全てであり、お互いの存在以外、必要なかった。
他者にどう思われようと、他人が何を思い、何をしようと。それは目の端にすら映らないものだった。
ただ自分たちの関係を歓楽するための一つの要素として、自余が存在するだけだった。
それなのに。
「それなのに、お前がこうやって…『先生』して、笑ってるの見るの、好きだったんだ」
カカシの表情が、苦渋に歪んだ。