まさか同じ光景を二度も目の当たりにするとは
流石の僕でも思いはしなかった。
だけど・・それを目にして、それが切欠を作る
引き金となったのだ。
もしかしたら・・それを望んでいたのかもしれない
誰よりも強く・・そう僕自身が・・。
破片の記憶...
普段では全く呼ばなくなった僕自身の苗字を呟くと彼は意識を手放した。
どうやら懸念していた事態が起こってしまったのだろう。
彼の中で鍵となる情景が過去と重なり・・己の中で深く封をかけられていた記憶が
浮上してきたのだろう。・・その引き金を引いたのは他でもない僕自身だった。
否・・緩みかけていた封だったのだ。長い歳月を超えてもう限界が近付いていたのかも
しれない・・僕の言動は切欠に過ぎない。
だが、どちらにしろ・・これは僕自身の責任もある。
封じ手として未熟だった過去の自分の責務が今現在の僕に廻ってきただけなのだから。
関口は3日の間、昏睡し続けた。このまま醒めぬのならば無理強いもやもえないと
考えていたが、4日目の朝・・彼は目覚めた。
だが、その瞳は虚ろで焦点が見定まっていない。
あぁ・・やはりか。と思う。
彼は過去を思い出したと同時にもう一つの出来事も思い出してしまったのだ。
この花にも酷いことをするね・・。
その言葉に苦々しい想いをこめて彼に浴びせかけてしまった。
それはあまりにもの切り取られた過去の彼と重なったから・・。
* * * * * * *
*
その頃の僕らは・・・惹かれ合っていた仲と言うべきか。
いや、だからと言って互いの体を求め合ったりなどはしてはいなかった。
想いあっていた。と言うべきか・・今もそう大差はないが、あの頃は色恋沙汰を
表に出して他人に露見させるなど、余り美しいこととは考えられていなかった。
秘すればこそ・・花なり。
だから、互いに言葉になどした事がなかった。【愛してる。】など【好き。】と云う事は。
その日の夜。僕らは偶々・・遠出をした帰りだった。
日はとおの昔に落ち、中天には白い月が浮いていた。下弦の更待月だ・・。
二,三歩下がった後方で関口はノロノロ・・とした歩みで付いて来る。
疲れているのか、中々その歩みは僕に追いつこうとはしない。
仕方なく、溜息一つを吐いて彼が追いつくのを待つ。
すると、顔を上げた彼が序々に己の歩幅を広げて・・僕へと近付いてくる。
少しずつ縮まっていく僕らの距離。後少し・・後もう少しだ。
だが、その気持ちは裏切られた。
関口は僕の前を足早に通り過ぎて行ったのだ。人の気も知らないで・・と悪態の一つでも
吐いてやろうと、視線を上げる。
「関口君、君ね・・」
そこまで言って僕の言葉は消えた。
僕のほんの少し前で、彼は何かを殊更嬉しげに見つめているのだ。
「見てくれ、中善寺。とても綺麗だとは思わないかい?」
そう言って、その指先に触れているのは一重咲き白花の芍薬だった。
夜の暗さに、その朧気な白い花弁が幽玄な雰囲気を醸しだしていた。
「なんていう花だろう?」
余程気に入ったのか、関口は繁々と見詰ては花を近づけて・・その匂いを嗅いでいる。
「芍薬だよ。」
「シャクヤク・・?あぁ、あの座れば何とかと云うやつのかい?」
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花・・・だろうが。君は何でも
曖昧にしか憶えていないんだね。」
「まぁまぁ・・そう言わないでくれよ。」
珍しく関口にしては、口篭もることもなく言葉を返してくる。やはり甚くお気に召したらしい。
「君辺りは好きになるんじゃないかな・・。芍薬の花言葉は【恥じらい】【はにかみ】
そして・・【内気】だよ。」
そう言いながら、何だか本当に芍薬が君自身な感じがした。
莫迦莫迦しいとは思いつつもある思念が頭の中を過ぎる。
昼の明るい光の中でも、夜の弱い光の中ですら・・淡く消え入りそうな
白い芍薬の姿は、その花言葉通り内向的で何かを恥らっているみたいで・・
今にも現から離れ朧気な空間へと溶け込んでしまうのではないかと思う
危うさを孕んでいた。それが彼にとても酷似して見えた。
じっと見詰ていた関口が何を思ったのか、その指先にほんの少しだけ力を込めた。
芍薬の花は、素直に彼の手の中へ転がり落ちた。
「関口君、無闇に草花だからと言って摘み取るべきではないよ。」
掌に落ちたその花を僕の方へと差し出したかと思うと、
「君にあげるよ。」
と彼は呟いた。差し出された花が僕の手に転がる。
その真意が汲み取れずに顔を顰める。
「なんで僕にくれるんだい。折角、咲いていたんだから
そのままにしてやれば善かったものを。」
その言葉に返事は返らなかった。一瞬、酷く困った様な表情・・いや、どちらかと言えば
恥らった様な表情と云うべきか・・そんな表情を浮かべると関口は歩き始めた。
やっと返された言葉は、「あぁ・・」とか、「うぅ・・」と小さく口篭もる位だった。
もう云うべき言葉も思いつかずに、仕方なく歩き始める。
頭の中では、さっきの一瞬の表情が離れてはくれそうになかった。
寝返りを打つ。
一体、何度目の寝返りだ?明日も早いのに寝ないつもりなのだろうか?
ふと、視線はあの白い花へと釘付けられた。
自分の勉強机の上に素っ気無い硝子のコップに
生けられて、その重たそうな頭を擡げていた。
「・・・き、君と・・ずっと・・居られたらぁ・と・・思ったん・・だ。だから・・」
うわ言の様に呟かれた言葉が背中越しに聞こえてくる。どこか眠そうなくぐもった声。
それなのにハッキリと僕の耳に届いたのは、その内容の所為だろうか。
「中善寺・・寝てしまったのかい?」
応えない僕に、関口は再び寝返りを打つ。
「なんで芍薬の花で・・ずっと居れたらなんだい。本当に君って奴は。」
突然、口を開いたのに驚いたのか小さく声を上げたのが聴こえた。
畳み込むかのように言葉を続けようとする僕に、また不明瞭な声で反論する。
「だって、だってさ・・・君が言ったんじゃないか。芍薬は僕に似ているって。
だから、花でも良いから一緒に居れればって・・」
頭からすっぽりと布団を被り顔が見えない。唯でさえ不明瞭だというのに。
「僕は君辺りは好きなんじゃないのか?と言っただけだよ。」
きっと彼からは僕の表情なんて見えはしない。善かったと思う。
こんな見っとも無い表情を他人に・・しかも関口なんかに見られたらと思うと
何とも言えないから。
何故なら、自分の心の中を見透かされた様な言葉を投げ掛けられて
僕は動揺していたからだ。確かにあの時、芍薬は彼を想い描かせると考えたからだ。
固まって動こうとしない関口に小さく溜息をつく。だけど、これは嫌味のつもりはない。
それなのにビクリ・・と布団の中の彼は動いた。
「僕はね関口君。花なんて・・・いらないよ。」
そろり・・と布団の中から顔を出した彼。
「そ、そう・・だよね。気持ち悪い・・よね。」
上擦った何ともハッキリしない声は、今にも泣き出しそうな音に聴こえた。
「全く、君はどうしてそう早合点なんだ。少しは人の話を聞きたまえ。」
そう言ってやると、固まって動こうとしない彼を布団毎、後ろから引き寄せた。
鼓動と体温が、薄い布団越しに伝わって来る。
身動ぎ一つしない関口は、きっとこの状況を飲み込めてはいないのだろう。
「・・ちゅ、中善寺?!」
上擦った声が聴こえてくる。困惑がありありと現れている。
意地の悪い事をしてやりたくなる。
「いいかい、僕はね・・花なんていらない。と、言ったんだよ。」
後ろに振り向こうとする彼の動きを封じて、「解るかい?」と低く囁く。
耳元に滑り込ませるかの様に。
「・・うぅ・・えぁ・・?!」
不可思議な声を発する関口を横目に、その瞬間を狙ったかの様に手首を掴み
布団から引き出すと、「わわぁ!!」とハッキリとした声を上げた。
「クスクス・・君、関口君・・驚きすぎだよ。」
「な、なんだ。冗談かい・・性質が悪過ぎるじゃないかぁ。」
なんだ、なんだ・・。と落ち着きを取り戻し、肩から力を抜き、
ぐったりとする彼に・・にっと笑う。
「・・ゆっくり、やすみたまえ。」
くぃっと、片手で彼の顎を上げると軽く口付ける。そして、すぐにそれは離れた。
何が起こったのか理解出来ずに惚ける関口を尻目に僕は寝床の中へと戻っていった。
これ以上、彼の顔を見ていたら何を仕出かしてしまうか自信がなかったからだ。
一人残された関口が小さく吐息と共にもぞもぞ・・と2,3何やら
呟いたように聴こえたが、それは言葉とならずに消えたようだった。
* * * * * * * *
ふぅっと・・回想から意識が戻ってきた。
相変わらず関口は、コップに挿された芍薬を見詰ている。
「なんで、こういう時ばかり・・そんなに穏やかに笑むんだ・・君は。」
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BGMby:遠来未来【夜蝶】